ゴスペルのリード・ヴォーカル
ゴスペルを習っていると、誰もが一度はチャレンジしてみたくなるものの一つとして、リード・ヴォーカルが挙げられます。
きらびやかなステージで、大勢のクワイアを後ろに従えて、スポット・ライトを浴びながら歌う姿は、観に来てくれた家族や友人の眼にもとても華やかに映ることでしょう。
でも、ゴスペルの「リード・シンガー」には、一般的な音楽の「ソロ・シンガー」とは大きく異なる役割があります。
「ソロ・シンガー」がその楽曲の主役であるのとは逆に、「リード・シンガー」は礼拝やゴスペル・コンサートにおいては主役ではないのです。
これは聖歌隊(ゴスペル・クワイア)の役割に関係してきます。
教会の礼拝やゴスペル・コンサートにおける聖歌隊の役割は「賛美奉仕」または「歌唱奉仕」です。
礼拝は神様への賛美をする時間であり、祈りをささげる時間です。会場にいる会衆と呼ばれる人たちは、それぞれが祈りを捧げに来ているわけで、音楽を楽しむために来ているお客さんというわけではありません。
クワイアは、そのような会衆の祈りをサポートするために讃美歌であるゴスペルを歌います。そしてその中の「リード・シンガー」もまた、会衆のみなさんの祈りをサポートすると同時に、クワイアに対しての「Lead=導き」の役割を持っています。
ゴスペル教室やグループのコンサートでは、最近は特にブラック・ミュージックやR&Bに精通した「めちゃめちゃ歌の上手い歌い手さん」がソロをとって拍手大喝采という場面が見受けられます。
しかしそこに「祈りへの奉仕」「クワイアへの奉仕」という働きがなく、ただ単に「自分の歌を聴いてほしい」「大観衆の前で上手く歌いたい」といった「自己中心的な主役意識」しかなければ、その声は大音量で会場には響きはすれども、それまでのものだと思います。
しかし逆に、リード・シンガーや指揮者が真っ先に賛美モードに入り、天に向かって姿勢を示せば、クワイアにも同じ「目的意識」が作用します。そしてそれは会場全体を押し上げ、本来のゴスペル・コンサートの醍醐味である「怒涛の賛美の嵐」が生まれます。
一人の歌声を「聴かせて感動させる」よりも、会場全体に「歌声を生み出す」方がすごいと思いませんか?
舞台上の主役はクワイア。会場の主役はそこにいる会衆の皆さん。そして真の聴き手は神様。プロデューサーはジーザス。
そしてこの壮大な場面を作り上げるスタッフの一人として「リード・シンガー」がいると僕は考えています。
ですので、リードの選考においては、歌の仕上がりももちろん重視はしますけど、一番重視するのは「クワイアに火をつける導火線」となってもらえる姿勢があるかです。
リードにエントリーしている多くの皆さん!肝に銘じてください!